ビザンティン聖歌

ギリシャ・ビザンティン合唱団/ビザンティン聖歌(聖大金曜日の哀歌)

中世におけるクラシック音楽、特に宗教音楽というと思いつくのはやはりグレゴリオ聖歌でしょうか。
グレゴリオ聖歌は西方教会のローマ・カトリック教会における宗教歌なのですが、それに相対するようにして存在したのが東方教会、つまり(ギリシャ)正教会の宗教歌であるビザンティン聖歌です。

グレゴリオ聖歌もビザンティン聖歌も、ヨーロッパのさまざまな聖歌が組み合わさりながらできあがったもので、グレゴリオ聖歌は9世紀から10世紀にかけて発展したとされていますが、その際、グレゴリオ聖歌とビザンティン聖歌はお互いに西と東とで影響しあっていたといわれており、ビザンティン聖歌自体は、現在のトルコのイスタンブールであるコンスタンティノープルが建設された330年から、1453年に陥落するまでのあいだに発展していったとされています。

ビザンティン聖歌 – Wikipedia

いわゆる聖歌の本質的な特徴としては、モノフォニー、つまり単旋律で、何人で歌っていても声部(パート)はひとつという点が挙げられるのですが、ビザンティン聖歌は主旋律とは別に低音が長音として歌われる点が決定的に違っています。
また、メロディーもヘブライやアラブを思わせるような、オリエントな感じがあり、同じキリスト教でありながら、どことなくイメージを裏切られるような感覚もあるかもしれません。

動画の音楽は、キリスト教においてもっとも重要な祭である復活祭の前の金曜日、すなわち聖大金曜日に歌われる哀歌です。
グレゴリオ聖歌がラテン語で歌われるのに対し、ビザンティン聖歌は主にギリシャ語およびアラビア語で歌われますが、たとえばロシアではロシア語で、ルーマニアではルーマニア語で、というように伝わっていった国の言語で歌われているようです。

キリスト教の音楽とひとくちにいっても、「西洋」から少し離れた周縁の場所になると、その土地の影響を受けて元の姿が変容していき(たとえば長崎のカクレキリシタンによるオラショもそのひとつの例でしょう)、想像していたものとはまったく違ったものになっていくというのも興味深いことではないかと思います。

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