小澤征爾(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団/武満徹:弦楽のためのレクイエム
作曲:武満徹
(Toru Takemitsu 1930 – 1996、日本)
曲名:弦楽のためのレクイエム
(Requiem for Strings)
武満徹は、ほぼ独学で音楽を学びながらも、世界で高い評価を得た日本の作曲家です。
この「弦楽のためのレクイエム」は1957年に発表されました。作曲家として最初に作品を発表したのが「2つのレント」の1950年ですから、作曲家デビューから7年後の作品ということになります。
レクイエムといえば、本来クラシック音楽においては、カトリック教会における死者のためのミサを意味しますが、この「弦楽のためのレクイエム」は親交のあった作曲家、早坂文雄の死を悼むために作曲されました。
早坂文雄は結核が原因で亡くなったのですが、当時は武満もまた結核を患っており、早坂の死だけでなく自分に忍び寄る死の恐怖も意識しながら作曲していたようです。
近代音楽の先駆的存在だったストラヴィンスキーが1959年に来日した際、日本の作曲家の作品を積極的に聴き、そのなかにこの「弦楽のためのレクイエム」があったことは有名なエピソードとして伝えられています。
没後25年を思う──蔵出し連載「武満徹と〇〇〇の間」+ 雑感色々(その2)- KAJIMOTO
ストラヴィンスキーは武満の「弦楽のためのレクイエム」を聴いて“この音楽は実にきびしい”と評したそうですが、このときの「きびしい」は英語の intense だそうですから、これは「きびしい」の他に「激しい」とか「強烈な」「熱情的な」という意味も考えられるでしょう。「強度」「密度」といった意味をもつ “intensity”という言葉もサッカーの世界で一時期、話題になりました。
また、ストラヴィンスキーは後の記者会見で武満の「弦楽のためのレクイエム」に触れ、“真摯な姿勢”で“熱情的な作品”と称賛したことが伝えられています。
Toru Takemitsu’s Requiem – The Aesthetic of Mono no Aware – The Euroculturer
“この音楽は実にきびしい”というストラヴィンスキーの言葉は、“このような、きびしい音楽が、あんな、ひどく小柄な男から、うまれるとは。”と続いています。
こうしたストラヴィンスキーの評価も手伝って、この作品は武満徹の出世作として知られるようになりますが、その武満自身は作曲当時の心境を、あまりに情緒的で個人的な思い入れに押し流されて書いていた、と振り返ったそうです。
こういったエピソードを踏まえて、“小柄な男からうまれた音楽”が、どれほどきびしく、あるいは強く、密度を持ったものなのか、といった点を意識しながら聴くのも、この作品のひとつの聴き方かもしれません。
さて、楽曲の構造の解説については、先ほど挙げた Wikipedia にとても詳しく書かれてありますから、ここでは、この作品の聴きどころと思われる非西洋的な特徴について少し触れておこうと思います。
この作品はタイトルのとおり、弦楽オーケストラ(弦楽合奏)によって演奏されます。
ヴァイオリンやヴィオラ、チェロ、コントラバスといった弦楽器は西洋の楽器です。バッハやベートーヴェンといったクラシック音楽もまた西洋の音楽で、日本人はそれを受容してきました。
一方で、日本には「侘び・寂び」あるいは「間・余白」といった独自の美意識があり、西洋の文化とは区別してきました。そして「侘び・寂び」などの美意識は、西洋の論理性とは反対に曖昧さや揺らぎといったものを特徴としています。
武満徹の使う言葉に「音の河」というのがありますが、あえて直截的に川の水の流れを見てみれば、スムーズに流れているところもありますし、端にはよどんでいるところもあります。
これを日常の音におきかえてみるとどうでしょうか。夜の静けさ、遠くに聞こえる救急車のサイレン、近くを通りかかった原付バイク、突然の誰かのくしゃみ、といったように静寂かと思えば騒音があり、持続的な音もあれば断片的な音もあって、そして、これらの音の発せられる状態は、偶然で規則性がありません。
すでに Wikipedia でも規則的な拍が重要視されていない点が紹介されていますが、こうした音の河、つまり、偶然や規則性のなさ、あるいは静寂と騒音が入り混じったような曖昧さや揺らぎといった要素を、西洋の楽器を使う西洋の音楽の枠組みのなかに組み込んだ点が「弦楽のためのレクイエム」の大きな特徴といえるのではないでしょうか。
このような西洋と非西洋の対峙は「弦楽のためのレクイエム」発表の10年後、1967年作曲の「ノヴェンバー・ステップス」でさらに先鋭化され、世界で絶賛されるとともに武満徹の代表作として知られていくことになります。
さて、動画の演奏は1990年の東京文化会館でのライブで、武満作品の最大の理解者のひとりである小澤征爾の指揮によるものです。演奏の直前と直後の数秒間の沈黙も印象的です。